テレクラ利用における立場の選択について

テレクラ利用における立場の選択について

テレクラで「出会いの確率」や「出会いの回数」だけをあげていくのは実は簡単です。

その「確率」や「回数」だけをあげていく方法は、というと、「出会う相手を一切選ばない」というものです。

出会い目的でテレクラを利用しておりますと、どうしても「相手を選ぶ」という態度を選択することになるのですが、この「相手を選ぶ」という態度こそが「出会い」の「確率」や「回数」を減らす原因であるわけです。

しかし、この「出会う相手を一切選ばない」という方法で出会える相手というのは、相手を選ばなかっただけあって、「玉石混交」という四字熟語を地で行くような傾向を示すことになります。その「玉石」の比率はというと、おそらくは、かなり甘く見積もって“玉1:石9”というものになるでしょう。

「玉」に対する言葉が凡庸な「石」であるからまだいいですが、「糞」とでも形容したくなるような、壮絶なモンスター級の相手である場合も往々にしてあるのがテレクラの恐ろしいところであるといえるでしょう。「玉石糞混交」という新しい五字熟語を開発してあげるのが、テレクラにはふさわしいかもしれません。

とはいえ、テレクラに「玉」が混じっているのは確かであり、「相手を選ぶ」という姿勢は、このテレクラにおける「玉」のみを「出会う対象」として認識し、アポの交渉をしかけていく、という姿勢にほかなりません。

「出会いがない」というテレクラユーザーの言葉は、「玉石糞混交のテレクラにおける“玉”の女性との出会いがなかなかない」という冗長な言葉を圧縮して省略したものであると考えるのがよいでしょう。

「出会い」の「確率」や「回数」をあげていくのをとるか、それとも「確率」や「回数」ではなく「玉」との「出会い」に賭けるか。考えられる「テレクラの両極端」の姿勢というのは、このようなものであるように思われます。

テレクラにおける両極端vs中庸な最適解

ここで、最適解のように浮かび上がってくるのは「玉」も狙いつつ「確率」と「回数」もあげていく、という「妥協案」ということになるでしょう。ほとんどのテレクラユーザーが選択しているのが、この中庸な「妥協案」であることは間違いありません。

この「妥協案」によるテレクラ利用においては、「玉」と「糞」に属する女性との接触が回避されながら、「石」との出会いの精度があがっていく、「石」のなかの上物に期待していく、「相手はそこそこ選ぶが、ヤレそうなら相手は問わない」というような地点に落ち着くことになるでしょう。

このような「妥協案」の退屈な着地点を見ていると、「なにごとも『極端』になるということは考えものである」という考え方から導き出されることになる「妥協案」というのも「考えもの」である、という思考が導き出されることにもなります。

「玉」のみを狙えば出会いが難しくなり、「出会い」を選ばずに「回数」と「確率」だけをあげればモンスターとの対峙も起こり(まれに「玉」との出会いもある)、「極端」を避けた「妥協」を選べば退屈が待っている、と考えていくと、テレクラというものは、どの立場をとっても、その立場なりの問題が発生するものであることがわかります。

どの立場を選択するのも自由ではあるとはいえ、最終的には「中庸」に落ち着くことになるのですから、個人的には、一度「極端な態度」というものを選択してみるのがいいのではないか、と思います。

その「極端」の姿勢からのみ出会える女性、「極端」な地点からのみ見えてくる景色、というものを通過してみるのは面白いことですし、はじめから「中庸」の安全策をとるのに比べて、「極端」を通過したあとの「中庸」の選択と実践はいくぶんか強かなものになるかもしれません。