テレクラのマリア

テレクラのマリア

現代においていまだにテレクラを使い続けてくれている素人の若い女性というのは、ほとんど聖女とよんでもよいのではないかと思われます。

一度終わりを迎えそうになったテレクラが、奇跡にも近い復活を遂げたのは、無店舗テレクラというスマートフォン対応の時代と合致した新しいテレクラを開発したからだ、ということもある程度は正しいとは思うのですが、それ以上に、新しく開発された無店舗テレクラという場所に、素人の若い女性が戻ってきてくれたから、というのが何よりも大きいでしょう。

ifトークにはあまり意味がないかもしれませんが、もし、無店舗テレクラの登場だけがあって、そこに、若い素人女性の帰還がなかったら、ということを想像すると、ややゾッとするような思いにとらわれもします。

若い素人女性が無店舗テレクラという場所にきてくれなかったとしたならば、無店舗テレクラという優れたシステムであろうともテレクラという場所が維持できず、早い段階で二度目の終焉が来ていたのではないか、と思われます。

このような悲観的な想像は、おそらく「未然に避けられて、起こらなかった未来」の予想図としては、なかなか正しいのではないでしょうか。

若い素人の女性が無店舗型テレクラ登場以降、ある一定の人数でもってテレクラに戻ってきてくれた、ということは、テレクラにとって「救い」であったはずです。

実際、現在でもわずかに残っている個室型のテレクラには、若い女性の帰還がありませんでした。

若い女性の帰還がなかった結果として、年老いた女性と割り切り女性が支配しつづけた店舗型テレクラというものが、現在にいたってどのように悲惨な運命をたどってしまったか、ということについては、詳細な説明を必要とするまでもなく、一目瞭然といえるでしょう。

テレクラユーザーは若い女性には感謝してもしきれない

テレクラというものは、若い素人女性という「聖女」の存在なしにはとてもではありませんが、成立しません。

ですから、テレクラを利用するにあたっては、この「聖女」というものに対する敬意といいますか、敬虔な態度のようなものを決して忘れてはいけないのですし、「聖女」が一人でも多く、そして、少しでも長くテレクラを使い続けてくれるように、「聖女」に失礼がないように心がけなければなりません。

テレクラを利用する若い女性に対する敬意を失い、タダマンできる相手、何をやってもいい相手、などという認識で女性を扱う男性テレクラユーザーひとりの存在によって、現在の無店舗テレクラが置かれている贅沢な「出会い」の状況がまるごと破壊される可能性もあります。

「聖女」に対する男性の失礼な態度が原因となって、「聖女」が悲しみ、テレクラを忌避し、テレクラから軒並み去ってゆく、というようなディストピアのはじまりを、私はできれば見たくはありません。

テレクラという場所の持つ楽しさが、現在テレクラを利用してくれている素人女性という「聖女」のような女性たちによってのみ支えられている、ということを、ゆめゆめ忘れてはなりません。

若い素人の女性がテレクラを使ってくれているという現在の状況は決して「あたりまえ」ではない、脆く壊れやすいものなのですから。