テレクラの「いき」の構造

テレクラの「いき」の構造

テレクラでのテレフォンセックスにおいて、「正直」であるということは、常に美徳であるとは限りません。

テレクラでのテレフォンセックスの場では、テレフォンセックスを盛り上げるために「嘘」をつくことが美徳にもなりうるのが面白いところ。

現実社会においては、嘘をついてばかりいる人間は信用をなくすかもしれませんが、テレフォンセックスの場においては、テレフォンセックスの場を盛り上げる限りにおいて、「嘘」をつくことで誠実になるということがあります。

「嘘」というから聞こえが悪いかもしれませんが、「フィクション」と言い換えたらどうでしょう。

テレフォンセックスにおいては、現実離れした「フィクション」としか言いようがない性的空間を現出させることができます。

この時、現実社会での「誠実さ」の基準にのっとって、厳密に「正直」であろうとしすぎると、ときに、「フィクション」としての性的な空間に水をさすようなことになりかねません。

テレクラの「粋」と「野暮」

これは、江戸時代の美学で言うところの「野暮」に分類される行動といえるでしょう。

逆に、「フィクション」としての性的な空間を盛り上げるためにつく「嘘」は、江戸時代の美学でいうと「粋」に分類されるものになります。

もちろん、「あらゆる場面で嘘をつけ!」と言っているわけではありません。

そればっかりする人間は、さすがに「野暮」というものでしょう。

正直者であることによって、テレクラ女性のリアルな性がむき出しになる瞬間に立ち会うこともありますから、そのときは、「正直」であることがテレフォンセックスにおいての「粋」ということになります。

テレフォンセックスにおいて「粋」であるか「野暮」であるかは臨機応変にテレフォンセックスに取り組むことで見えてきます。

江戸時代に遊郭で遊んだ町人のような、「粋」なテレフォンセックスをこころがけて、その場に応じたふさわしい言葉を選びましょう。