テレクラでよりよくまちがえる

テレクラでよりよくまちがえる

呼吸するようにして「失敗体験」を重ねることができるテレクラという環境を、私は本当に素晴らしい環境だと感じています。

「テレクラでは絶対に失敗してはいけない」とでも考えて、まるで綱渡りをするようにしてテレクラを利用しているテレクラユーザーも、もしかしたらいるのかもしれません。

もし、そんな風に、追い詰められたようにテレクラを利用しているユーザーを見かけたならば、私は、スマホを握りしめる彼の切羽詰まったいかり肩をポンポンと叩いてやり、コーヒーの一杯でも差し入れして「まあ、テレクラ遊びくらいもっと気楽にやろうや」という一言をかけてあげることになるでしょう。

とはいえ、これは、「テレクラなどに真剣に取り組むべきではない」という提言ではありませんから、そこだけは注意していただきたいと思います。

むしろ、テレクラにおける一回一回の交渉に関しては「真剣」であるに越したことがありませんし、なんなら「命がけ」くらいの心構えでいいと私は考えております。

私が「気楽に」という言葉で伝えたいのは、「真剣」に「命がけ」で取り組んだことでも「失敗」することはあるのだし、そんな「失敗」のあとに何度でも「真剣」な取り組みを「再開」できるのだから、決して「これで終わりだ」などとは思わないでほしい、ということなのです。

テレクラにおいては成功体験よりも失敗体験のほうが多いと言わざるをえないでしょう。おそらくは「生涯打率三割」というような超人的な記録を持つテレクラユーザーのほうが少ないのではないかと思われます。

そんなテレクラにおいて、「ひとつの失敗」を恐れるような姿勢、あるいは「失敗してはいけない、失敗したら終わりだ」というような姿勢をとりつづけていたら、きっと、身が持たないことでしょう。寿命が縮んでしまいます。

テレクラで「失敗」から何度でも再起する精神を獲得する

私は「人生」においても別に「一回の失敗」ですべてが終わるなどとは思いませんが、日本に住んで暮らしていると「一回の失敗」がそのまま「すべての終わり」になってしまうような場面がどうしても多いため、基本的に「失敗」や「間違うこと」を恐れる傾向があります。

しかし、人間には「失敗したり間違えたりする権利」のようなものを持っている、と私は考えています。個人的には、私は人がどんどん「失敗」できる社会になっていけばいい、というささやかな理想を持ってもいます。

実情は、というと、そんな私の考えとはよそに、その反対側により一層突き進んでいくようであり、「失敗」は、「再起不能」という言葉と結び付けられがちであり、「失敗してはいけない」という見えない空気はますます人々を支配しているような印象を受けます。

その「失敗してはいけない」というような見えない空気を、私は、テレクラという「失敗」がおおらかに許されているような場所にまで持ち込む必要はないのではないかと考えています。

私は「失敗体験」はたくさん体験してどんどん慣れていったほうがいいと考えています。しかし、「一度の失敗」で「再起不能」になってしまうような状況では、「失敗体験」を積み重ねることはできません。そこで、テレクラがあるというわけです。

テレクラは「失敗体験」を積み重ねて、それに慣れていき、失敗にへこたれない精神、失敗から立ち上がる精神を獲得するための環境としてはうってつけなのではないかと思います。

この「失敗」や「間違い」が許されているテレクラという環境の素晴らしさは、社会のなかで「失敗してはいけない」とつねに考えてギリギリのところで追い詰められている人にこそオススメしたいくらいです。

テレクラを利用し、「こんなに大胆に失敗したのに、もう一回やってもいいんだ」の連続から「即ハメ」という成功体験に到達したあと、そのテレクラユーザーの「失敗」に対する考え方や慣れが、テレクラ以外の実生活にフィードバックし、テレクラを使う以前よりもずっと気楽に、しかし、たくましく不屈の精神で生きられることを、私はどうやら願っているようでもあるのです。

テレクラで「転び方」を覚えて、よりよく失敗していきましょう。