テレクラで「予習」をしすぎない

テレクラで「予習」をしすぎない

テレクラに、「プロフィールツーショット」という、「相手の女性の情報」や「テレクラを利用する目的」などをあらかじめ把握したうえでツーショットが開始できるシステムが組み込まれて以降、テレクラユーザーは、「相手の女性に関する予習は必須である」という前提からテレクラ遊びをするようになった傾向があります。

その前提は、もはや「疑いようがないもの」になっており、「基本である」ということにさえなっているように思われるのですが、個人的には、「本当にそうなのだろうか」と考えさせられる問題でもあります。

というのも、テレクラにおいては「相手の情報がまるでわからないままに会話を始めなければならないというある種の不条理」や、「行き当たりばったりな偶然性」、「攻略法の構築の根本的な不可能性」などといった、「プロフィールツーショット」が登場する以前のテレクラの「基本的な性格」が、「プロフィールツーショット」登場以降の現在でも、土台にがっしりと食い込みながら残っているままだからです。

「プロフィールツーショット」の機能を利用した「相手の女性に関する予習」は、もちろん、非常に便利ですし、有効でもあります。

特に「出会い」と「テレフォンセックス」のどちらを求めているか、というテレクラの利用目的がハッキリしているテレクラユーザーの場合は、相手の女性が「出会い目的」なのか「テレフォンセックス目的」なのかをあらかじめ知ってから回線を繋ぐことができることには、大きなメリットがあるといえるでしょう。

しかし、そこから先の「ツーショットダイヤル」の場面で行われる「生々しい会話」の段階にまで進んだ場合、結局のところ、「事前に仕入れた情報」というのはあまり役に立たないように思われます。

いきすぎた「予習」は「現在」を邪魔することもある

それは、たとえば「風俗嬢のプロフィールなどを丹念に読み込んだところで、実際に指名してみなければ相手がどんな女性であるかわからない」という状態にも似ているでしょう。

プロフィールを充分に読みこんで、思考に思考を重ねて葛藤の末に指名した風俗嬢とのセックスがあまり盛り上がらなかった、「情報」から想像していたものと違っていた、という状況は往々にしてよくあることですが、それは「テレクラ」においても同じです。

「プロフィールツーショット」の情報だけで「気が合いそうだな」と判断した女性と、いざ、ツーショットで繋がって会話をした途端に「なんだか違うな」となり、盛り上がらないという状況は、むしろ、テレクラでは日常茶飯事レベルで頻繁に起こることであるといえるでしょう。

テレクラにおいて、「事前の情報」をいかに予習するか、という「基本」のようになっていることは、実はそれほど重要ではないのではないか、と私は考えています。

もっと言うならば、「事前に仕入れた情報」に惑わされることのほうを避けなければならないようにさえ思われます。

テレクラにおいては、「予習」したものにとらわれずに必要とあれば破り捨てる姿勢、「ツーショットダイヤル」が開始されてからの「一対一で相手と向き合う時間」のなかで「相手の女性の何を掴むか」という、毎回の状況にゼロ地点から立ち向かっていく姿勢こそが問われます。

「情報」は、所詮「情報」でしかありません。「情報」の先にいる「生きた女性」の存在に無媒介的に触れ合う瞬間に、テレクラは「出会い」と「テレフォンセックス」の扉をはじめてひらくものなのです。